この本は、なかなか興味深い。
昔から潜在的に存在していた「わかんねえ=つまんねえ」という意見が、ツイッターなどの普及によって顕在化した。そして、この「わかんねえ=つまんねえ→わからないものを作るヤツが悪い」というのが完全に正義になってしまった。それで、世の脚本家やテレビマンたちは、「わかりやすさ」だけが唯一無二の価値となってしまった状況の中で、「わかりやすさ」の強迫観念におびえていると言う。そこでは、もちろん「行間を読む」とか「類推する」とか「比喩・メタファー」なんてのはオワコン化し、とにかく説明ゼリフと説明過剰の字幕が求められているのだった。
例えば、「じっと黙って見つめ合う男女」の映像を見ても、そこに「愛」の存在は感じないらしい。「だって、好きだったら好きって言うはず」ということらしい。もちろん「あんたなんか大キライ!」は、ただの罵倒の言葉でしかない。
この間のウチの芝居でも、「おっさんの自己満足を並べただけ」という感想がいくつかあった。もちろんその可能性は否定しないが、ただ、「わからない俺の頭が悪いんじゃないの?」とは決して思わないみたい。
かくして、この世から読者や観客や視聴者は存在しなくなり、ただ「消費者」だけが跋扈して「お客様は神様だ。おまえらサービスが足りない」と主張している。
もはやリテラシー(読解力)は壊滅。そう言えば、おとついだったか立教大学の学生が「わからん授業をするな!」って教授に噛みついていたな。
まあ、オレはアマチュアで「自己満足」で芝居をやってるからいいけど、生業にしてる人は大変だな。
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